前回、アーサー・エドワード・ウェイトについて見てきました。
根拠の薄い古代エジプト起源説には批判的でありながら、タロットには、人間や世界について考えるための深い象徴の世界があると考えた人物です。
そして1909年、ウェイトは自分の考える新しいタロットを作ろうとします。でも、ウェイト自身は画家ではありません。
78枚に人物を描き、表情を与え、風景を作り、そこに物語を生み出す人が必要でした。その仕事を任されたのが、パメラ・コールマン・スミスです。
現在、ライダー=ウェイト=スミス・タロット、略してRWSと呼ばれるタロット。その「スミス」が、彼女です。
今回は、500年以上の間、杯がただ並んでいた「カップの5」に、なぜ一人の悲しむ人物が現れたのか。その答えを探しに行きましょう。
01 · BEFORE TAROT
「タロットの人」になる前から、
変わった芸術家だった
パメラ・コールマン・スミスは、1878年、ロンドンのピムリコに生まれました。
幼少期からイギリス、アメリカ、ジャマイカなどを行き来し、1893年にはニューヨークのプラット・インスティテュートで美術を学び始めます。同校の展覧会資料も、ここを彼女の芸術活動の出発点として紹介しています。[1]

芸術家・物語作家
パメラ・コールマン・スミス1878–1951絵画、挿絵、舞台、出版、民話など、多くの表現を行き来しました。
ガートルード・ケーセビア撮影、1912年 / Wikimedia Commons — パブリックドメイン画像と権利表示を見るでも、彼女は単に「絵を描く人」ではありませんでした。挿絵、舞台美術、衣装、本、詩、雑誌、民話、朗読、出版。さまざまな表現に関わっていきます。
後にタロット史へ巨大な影響を残す人ですが、タロットは、彼女の創作活動のほんの一部だったのです。
02 · STORIES FROM JAMAICA
ジャマイカの物語を、
絵と言葉にする
彼女の作品を見ていくと、タロットを描く以前から、「物語を絵にする」ことをずっと続けていたと分かります。
1899年、まだ20歳そこそこのスミスは、ジャマイカに伝わるアナンシの物語を集めた『アナンシ物語』を発表します。自ら物語を書き、自ら挿絵を描いた本です。[2]
さらに1905年には、『チム・チム――ジャマイカの民話』も出版しました。アメリカ議会図書館には、現在もその本が所蔵されています。[3]
誰かの説明をそのまま図にするだけのイラストレーターではありません。物語を聞き、自分の中で受け取り、人物や場面として作り直す。そういうことを、タロットよりずっと前からやっていたのです。
03 · THE LITTLE STAGE
一枚一枚が、
小さな舞台のように
スミスは演劇の世界とも深く関わっていました。著名な女優エレン・テリーをはじめとする舞台関係者と交流し、衣装や舞台美術、挿絵などを手がけます。プラットの資料も、舞台・衣装デザインを彼女の主要な仕事として挙げています。[1]
ナショナル・トラストのコレクションには、スミスが描いたエレン・テリーの姿や、劇団の旅をユーモラスに捉えた作品が今も残っています。[4]
後のRWSを見ると、人物が立ち、向き合い、歩き、何かを差し出し、うなだれ、戦い、遠くを見ています。カードの中に人物を置き、その姿勢や小道具だけで「何が起きているのか」を想像させる。
舞台の世界にいたスミスにとって、一枚のカードを小さな舞台にすることは、とても自然な表現だったのかもしれません。
04 · MUSIC PICTURES, 1907
音楽を聴くと、
絵が現れる
スミスの芸術を知るうえで、とても興味深い作品群があります。彼女は、音楽を聴きながら絵を描いていました。
1907年、写真家・美術家アルフレッド・スティーグリッツは、ニューヨークの有名なギャラリー「291」でスミスの作品を展示しました。プラットは、スミスをそこで展示された最初の非写真家として紹介しています。展示されたのは、音楽から浮かんだイメージを描く「ミュージック・ピクチャーズ」を含む72点の象徴的な水彩画でした。[1][9]

音楽から生まれた絵
『エグモント』序曲1907年音を音符として写すのではなく、受け取った感覚を人物と風景へ変えた作品です。
スミソニアン・アメリカ美術館所蔵 / Smithsonian Open Access — CC0作品情報を見るスミソニアン・アメリカ美術館には、ベートーヴェンの『エグモント』序曲から生まれた1907年の水彩画が残っています。[5]
「音」をそのまま音符として描くのではない。音から受け取ったものを、別の物語として絵にする。それは、目に見えない「意味」を一場面へ変えるタロットの仕事とも、よく似ています。
05 · THE FIVE OF CUPS
「喪失」を説明せず、
感じられる絵にする
たとえば、「喪失」という言葉だけを書いても、人の心にはなかなか残りません。
では、黒い衣をまとって、うなだれた人物を描く。目の前には、倒れて中身がこぼれた三つのカップ。本人には見えていない背後に、まだ二つのカップ。遠くには、川、橋、建物。

言葉から場面へ
RWS「カップの5」パメラ・コールマン・スミス、1909年失ったもの、まだ残るもの、その先へ渡る橋。一枚の中に複数の読み筋があります。
1909年「ローズ&リリーズ」版 / Wikimedia Commons — パブリックドメイン画像と権利表示を見るもう「喪失」という言葉だけではありません。悲しんでいる。失ったものばかり見ている。でも、まだ残っているものもある。向こう岸へ渡る橋もある。絵を見るだけで、いくつもの物語が浮かびます。
スミスがしたことは、
意味に、場所と人物と時間を与えること。
06 · ONE CARD, THREE ERAS
第1回の「カップの5」を、
もう一度
500年以上前のヴィスコンティ=スフォルツァ・タロットにも、「カップの5」がありました。そこにあるのは、ほぼ五つのカップだけです。第2回のマルセイユ型でも、基本的にはカップが並びます。
それが1909年、スミスの手に渡ると、一枚の場面になります。



同じ「カップの5」でも、見る人が出会うものは変わりました。数を表す五つの杯から、自分を重ねられる人間の場面へ。ここにスミスの大きな仕事があります。
07 · AN IMPORTANT CAUTION
史上初ではない。
それでも革命的だった
ここで一つ、歴史上の注意があります。スミスが、世界で初めて小アルカナに人物場面を描いたわけではありません。
15世紀末のイタリアには、非常に珍しいソラ・ブスカ・タロットがありました。小アルカナにも具体的な人物や場面があり、英国博物館は1491年ごろの全78枚の版画セットとして記録しています。メトロポリタン美術館も、完全な78枚が残る最古の例として紹介しています。[6][7]
現在の無数のデッキで「カップの5」を見ると、悲しむ人物、倒れたカップ、残されたカップという構図をどこかで受け継いでいます。V&Aも、スミスが小アルカナに作った象徴が、今なお多くのデッキに用いられていると説明しています。[8]
最初に描いたからではなく、その後の人々が見て考える共通語になったから、彼女の仕事は革命的なのです。
08 · WAITE AND SMITH
ウェイトは、
どこまで指示したの?
「これはウェイトのアイデアなのか、スミスのアイデアなのか」。全部をきれいに分けることはできません。
ウェイトは、特に大アルカナについて、象徴や構図の具体的な指示を出しました。一方、小アルカナではスミスに大きな裁量がありました。V&Aは、彼女にはいわば「白紙」が渡されたと説明しています。[8]
カップの5の立ち姿、風景、空気、細かな物語。そこには、スミス自身の想像力が大きく入っていると考えられます。
ウェイトが思想を渡し、スミスが世界を作った。そう見ると、「ウェイト版」だけでは、やはり少し足りません。
09 · THE BIG JOB, 1909
78枚を描き終えた、
「少ないお金の大仕事」
1909年、スミスは大アルカナ22枚、小アルカナ56枚、合計78枚の制作を進めます。しかも、ほぼすべてが独立した絵です。
11月19日、仕事を終えたスミスは、旧知のアルフレッド・スティーグリッツへ手紙を書き、この仕事をこう表現しました。
“a big job for very little cash!”
彼女が描いた78枚は、このあと世界中へ広がり、数え切れないほど模倣され、新しいデッキの土台になります。でも、その時点の彼女にとっては、あまりお金にならない大仕事だったのです。
10 · THE NAME RETURNS
消えていた名前と、
タロットだけではない人生
彼女の名前は長い間、デッキの名前から消えがちでした。一般には「ライダー・ウェイト版」と呼ばれてきたからです。
出版社ウェイト
構想スミス
78枚の絵
近年では、彼女の仕事を正当に示すため、ライダー=ウェイト=スミス、あるいはウェイト=スミスと呼ぶことが増えています。このシリーズでも最初から「RWS」と呼んできました。
ホイットニー美術館の図書館記録も、このデッキをライダー=ウェイト=スミス・タロットとして収録しています。[10]
Sは、おまけではありません。このタロットを、私たちが実際に「見ることのできる世界」にした人の名前です。

タロットの外に広がる作品
無題(通称『月に語りかける』)1907年人物、身振り、広い余白だけで、見る人に前後の物語を想像させます。
イェール大学バイネッキ図書館所蔵 / Wikimedia Commons — パブリックドメイン画像と権利表示を見るスミスはタロットを描いて人生を終えたわけではありません。本を作り、雑誌を出版し、舞台に関わり、女性参政権運動にも加わり、絵を描き続けました。その活動は一つの肩書きには収まりません。[1][9]
1951年、イングランド南西部コーンウォールのブードで、73歳の生涯を終えました。長くタロットの影に隠れていた名前は、近年、美術館、大学、研究者、タロットの利用者たちによって改めて見直されています。
11 · MEANING BECOMES STORY
「意味」を、
「物語」に変えた人
このシリーズでは、タロットへ意味を与えた人を何人も見てきました。
そしてスミスは、それらを人間が見て、感じることのできる場面へ変えました。
悲しみ、迷い、争い、休息、出会い、別れ、喜び、孤独、希望。小アルカナの中に、人間の日常が入ってきます。
だから、専門知識を全部知らなくても、カードを見ることができます。「なんだか、この人は今の自分みたいだ」と思い、そこから何かを考え始められます。
SOURCES & IMAGE RIGHTS
参考資料・画像の権利
経歴と創作活動はプラット・インスティテュート、作品情報はスミソニアン、タロット史上の位置づけはV&Aとメトロポリタン美術館の公開資料で確認しました。本文の画像は、CC0または著作権保護期間が満了した作品だけを使用しています。
- 1
Pratt Institute
「Pamela Colman Smith: Life and Work」――1893年の入学と、絵画・挿絵・舞台・出版・民話にわたる活動展覧会資料を見る - 2
University of Pennsylvania
パメラ・コールマン・スミス『アナンシ物語』(1899年)の書誌と公開版書誌を見る - 3
Library of Congress
『チム・チム――ジャマイカの民話』(1905年)の所蔵記録所蔵記録を見る - 4
National Trust Collections
パメラ・コールマン・スミスによるエレン・テリーと舞台関係作品所蔵作品を見る - 5
Smithsonian American Art Museum
パメラ・コールマン・スミス『「エグモント」序曲、ベートーヴェン』、1907年、水彩・インク・鉛筆作品情報を見る - 6
British Museum
ソラ・ブスカ――1491年ごろの全78枚からなる版画セット所蔵記録を見る - 7
The Metropolitan Museum of Art
ソラ・ブスカ――現存する最古の完全な78枚組の一例解説を見る - 8
Victoria and Albert Museum
RWSの制作――大アルカナへのウェイトの指示、小アルカナでのスミスの裁量、後世への影響タロット史を見る - 9
JSTOR / Clemson University Press
エリザベス・フォーリー・オコナー『Pamela Colman Smith: Artist, Feminist, and Mystic』――1909年11月19日のスティーグリッツ宛書簡と多面的な活動書籍情報を見る - 10
Whitney Museum of American Art Library
「Rider-Waite-Smith tarot deck」の図書館記録記録を見る - 11
Wikimedia Commons
ガートルード・ケーセビア撮影「パメラ・コールマン・スミス」、1912年 — パブリックドメイン画像と権利表示を見る - 12
Smithsonian Open Access
『「エグモント」序曲、ベートーヴェン』、1907年 — CC0オープンアクセス方針を見る - 13
Wikimedia Commons / Yale University
無題(通称『月に語りかける』)、1907年 — パブリックドメイン(作者没後70年超)画像と権利表示を見る - 14
Wikimedia Commons
1909年版「カップの5」、パメラ・コールマン・スミス — パブリックドメイン画像と権利表示を見る