前回、エリファス・レヴィの時代までやってきました。
タロットはもう、ただのゲームでも、ただの占いカードでもありません。
カバラ、占星術、錬金術、宗教、文字、数字。それらとタロットを結びつけ、「この世界には、目には見えない大きな仕組みがあるのではないか」と考える人々が現れました。
そして19世紀の終わり。そうした思想を、一人で本を読んで考えるだけではなく、仲間と学び、段階を踏み、実際に儀式まで行う組織がイギリスに誕生します。
黄金の夜明け団
英語名:Hermetic Order of the Golden Dawn
名前だけ聞くと、ものすごく怪しそうです。秘密結社、魔術、儀式、暗号めいた名前――確かに、その全部があります。
でも、タロットの歴史を見るなら、「怪しい人たちが集まっていた」だけで通り過ぎるわけにはいきません。なぜなら、この小さな組織から、後のタロットを大きく変える人々が現れるからです。
01 · LONDON, 1888
1888年、ロンドン
黄金の夜明け団が成立したのは、1888年。19世紀末のイギリスです。
団の設立と運営の中心になった、検視官・著述家です。
儀式や教義の体系化を担い、団の活動を導きました。
医師であり、薔薇十字系組織の指導者でもあった共同創設者です。
中心となったのは、この三人でした。ウェストコットとメイザースは、薔薇十字思想などを扱うフリーメイソン系の組織にも関わっていた人物です。

共同創設者
ウィリアム・ウィン・ウェストコット 1848–1925検視官、著述家、薔薇十字団員。レヴィの著作を英訳し、黄金の夜明け団創設の中心になりました。
撮影者不詳、1897年以前 / Wikimedia Commons — パブリックドメイン 画像と権利表示を見るCambridge University Pressの研究では、黄金の夜明け団は1888年から1903年ごろまでの比較的短い期間に、19世紀末イギリスで非常に重要な秘教団体となり、イングランドの四つの拠点とパリの一拠点で活動したとされています。[1]
わずか十数年。歴史として見ると、かなり短い。それなのに、現在の西洋魔術やタロットへ残した影響は、とても大きなものでした。
02 · INITIATION AND GRADES
「秘密結社」って、
何を秘密にしていたの?
ここで、「秘密結社」という言葉にも少し立ち止まりましょう。何か悪いことを企んでいた、という意味ではありません。
黄金の夜明け団には、入会の儀式があり、段階ごとの階級があり、その段階に応じて学ぶ内容が決められていました。
つまり、誰でも本屋で教科書を買って全部読むという仕組みではなかったのです。
ある段階まで進んだ人に、次の知識や儀式が伝えられる。そして、さらに進んだ人には、もっと高度な内容が伝えられる。そういう形でした。
実際に残された資料には、0=0、1=10、2=9、3=8、4=7といった不思議な数字で表された階級ごとの講義ノートがあります。その中には幾何学的な象徴、占星術、カバラ、護符、占術、そして「生命の樹におけるタロット」についての講義までありました。[2]
つまり、タロットだけを勉強する団体ではありません。さまざまな神秘思想を、一つの体系として学ぼうとした組織だったのです。
03 · A SCHOOL OF ESOTERICISM
「魔術学校」に少し近い?
現代の感覚に無理やり置き換えるなら、少しだけ、神秘思想の学校に近いところがあります。
もちろん普通の学校ではありません。入会儀式があり、秘密の名前を使うこともあり、象徴に満ちた儀式を行います。
でも、ただ集まって不思議なことをしていたのではなく、覚えることも、勉強することも、かなりたくさんありました。
Cambridgeの研究でも、黄金の夜明け団は、それまで個人的に行われることの多かった魔術研究を、組織の中で学び実践するための社会的な場所へ変えた団体として評価されています。[1]
前回のエリファス・レヴィが、いろいろな神秘思想を結びつけて大きな世界観を描いた人だとすれば、黄金の夜明け団は、そのような世界観を「実際に学ぶカリキュラム」にしていった人々と見ることもできます。
04 · THE GREAT TABLE OF CORRESPONDENCES
タロットは、ここで
「巨大な対応表」の一部になる
前回、レヴィがタロットとヘブライ文字を結びつけた話をしました。黄金の夜明け団は、そこからさらに進みます。
それらを、細かな対応関係で結びつけていきました。
黄金の夜明け団の資料には、実際にタロットと生命の樹を結びつける講義が残っています。後にアレイスター・クロウリーがまとめた『777』にも、黄金の夜明け団から受け継いだ膨大な「対応関係」が表として整理されています。[2]
ここでタロットは、ますます「このカードが出たら恋愛運はこう」というだけの道具ではなくなります。
その全部が、一つの世界の別々の表現なのではないかと考える。第5回で見たレヴィの世界観が、かなり具体的な形になってきました。
05 · FOUR SUITS, FOUR ELEMENTS
たとえば、四つのスートも
現在タロットを使っている人なら、こんな対応を見たことがあるかもしれません。
こうした「四つのスートと四元素を対応させる」考え方も、後の西洋魔術的なタロットでは非常に重要になります。
黄金の夜明け団では、さらにカード一枚一枚を、占星術やカバラの体系の中へ細かく配置していきました。
つまり、カードの意味が単独で存在しているのではない。ほかの象徴との関係によって意味が広がっていく。この考え方が、後のタロットへ大きな影響を与えます。
06 · WOMEN IN THE ORDER
女性も参加していた
黄金の夜明け団について、意外に感じることがもう一つあります。女性が参加していました。
しかも、ただ男性会員の付き添いとしていたわけではありません。階級を上がり、組織の重要な位置についた女性もいます。
団内で高い階級まで進み、後にはイングランド側の重要な役職を務めました。
Cambridgeの研究でも、ミナ・バーグソン・メイザース、フローレンス・ファー、モード・ゴンなど、多くの女性が黄金の夜明け団の重要な参加者として挙げられています。[1]
当時のフリーメイソン系組織には、原則として男性中心のものが多くありました。その中で黄金の夜明け団が、女性にも神秘思想を学び、階級を進む場を開いたことは、この組織の特徴の一つでした。
後のタロット史でも、女性たちは非常に重要な役割を果たすことになります。その代表的な人物の一人が、もうすぐ登場します。
07 · A REMARKABLE CIRCLE
そこに集まった人たちが、すごい
黄金の夜明け団の名前が今も残っている理由の一つは、そこに集まった人々です。
後にノーベル文学賞を受賞した詩人。スミスを黄金の夜明け団の教えへ導く接点にもなりました。
舞台で活躍しながら団内でも高い階級へ進み、重要な役職を担いました。
後に独自の魔術体系を築き、トート・タロットへつながっていきます。
後にパメラ・コールマン・スミスと、新しいタロットを作る人物です。
物語に満ちた絵によって、現代で最も広く知られるタロットの姿を生み出します。
Cambridgeの研究では、黄金の夜明け団が短命だったにもかかわらず、文学者、芸術家、神秘思想家たちの交流と魔術研究の場として大きな影響を残したことが指摘されています。
そして、もう一人。パメラ・コールマン・スミス。彼女は後に、世界で最も有名なタロットの一つを描くことになります。
Morgan Libraryによれば、スミスは詩人イェイツを通じて黄金の夜明け団の教えに触れ、その世界を通じてウェイトと知り合いました。[3]
ここで、これまで別々だった名前が、少しずつ同じ場所へ集まってきます。
08 · TWO GREAT BRANCHES
ウェイトとクロウリー
ここで二人だけ、名前を覚えておいてください。アーサー・エドワード・ウェイト。そして、アレイスター・クロウリー。
二人とも、黄金の夜明け団の世界から大きな影響を受けました。でも、二人が後に作るタロットは、かなり違うものになります。
1909年ライダー=ウェイト=スミスウェイト × パメラ・コールマン・スミス
20世紀トート・タロットクロウリー × フリーダ・ハリス
ウェイトは、パメラ・コールマン・スミスとともに1909年、後にライダー・ウェイト・スミス・タロット(RWS)と呼ばれるデッキを作ります。[4]
一方クロウリーは、ずっと後の20世紀、画家フリーダ・ハリスとともに、トート・タロットを作ります。Warburg Instituteも、タロット史を扱った展覧会で、クロウリーとフリーダ・ハリスによるトート・タロットを近現代タロット史の重要な作品として位置づけています。[5]
つまり、RWSとトートは、まったく無関係な場所から生まれたライバルではありません。
その背景をたどれば、同じ黄金の夜明け団の思想へ行き着きます。違う方向へ伸びた、同じ木の枝のようなものなのです。これは、現在のタロットを知るうえで、かなり重要なところです。
パメラ・コールマン・スミスも、ここでつながる
スミスについては、これから一回かけてじっくり見たい人物です。なので、ここではまだ深く入りません。
ただ、1909年に突然ウェイトから仕事を頼まれ、偶然タロットを描いた画家だったわけではない、ということだけ覚えておきましょう。
彼女自身も、演劇、民話、象徴、神秘思想。そうした文化の中で活動していた芸術家でした。そしてイェイツを通して黄金の夜明け団の教えに触れ、その人脈の中でウェイトと出会います。
だから後にスミスが描くタロットには、単なる「カードの説明図」では終わらない、独特の物語性が生まれていくことになります。その話は、もう少し先で。
09 · A SHORT LIFE, A LONG SHADOW
でも、黄金の夜明け団は
長く続かなかった
これだけ影響の大きな組織なので、何十年も続いた巨大な団体だったように思えるかもしれません。ところが、そうではありません。
その間に、内部の対立、指導者をめぐる争い、組織運営の問題――さまざまな衝突が起き、やがていくつかのグループへ分裂していきました。
Cambridgeの研究でも、黄金の夜明け団は短期間で内部対立と分裂に陥った一方、その後の20世紀秘教思想へ極めて大きな影響を与えた組織として位置づけられています。[1]
短命だった。でも、そこで作られた思想は消えなかった。参加した人々が、それぞれ別の場所へ持っていったからです。
組織は壊れても、思想は外へ出ていった
これは少し不思議です。もし黄金の夜明け団が、ずっと平和に続いていたら、現在のタロットは違う形になっていたかもしれません。
組織が分裂したことで、そこで学んだ人たちは、それぞれ自分の道へ進みました。ウェイトは自分なりの神秘思想へ。クロウリーはまったく別の魔術体系へ。そして、そこから別々のタロットが生まれていきます。
つまり、黄金の夜明け団そのものは短命でも、そこで集められ、整理された知識が、人と一緒に世界へ散らばっていった。その結果、20世紀のタロットへ、非常に大きな影響を残すことになりました。
10 · A CROSSROADS OF KNOWLEDGE
「秘密結社」というより、
知識の交差点
ここまで見てくると、黄金の夜明け団への印象も、少し変わってきませんか。
もちろん、秘密結社でした。魔術の儀式も行いました。現在から見れば、歴史的根拠のない伝承や、神秘的な世界観もたくさん含まれています。
だから、そこで教えられていたものを、すべて「古代から伝わる真実だった」と考える必要はありません。
DAWN
第5回まで見てきた、カバラ、錬金術、占星術、タロット、レヴィの魔術思想。さまざまな流れが、ここで一度集まりました。
そして、文学者、芸術家、神秘思想家。さまざまな人が、その知識を受け取り、また別の形で外へ持ち出していった。
そう考えると、黄金の夜明け団は、19世紀末の神秘思想が交差する場所だったとも言えそうです。
タロットの歴史にとって重要なのは、組織そのものが神秘的だったことだけではありません。ここで、後のタロットを作る人々と思想が出会ったこと。それが、大きかったのです。
SOURCES & IMAGE RIGHTS
参考資料・画像の権利
黄金の夜明け団の設立、活動期、創設者、女性会員と社会的役割はCambridge University Press、階級別講義とタロット資料はWarburg InstituteのYorke Collection、スミスとウェイトの接点はMorgan Library、トート・タロットはWarburg Instituteの展覧会資料で確認しました。
- 1
Cambridge University Press
黄金の夜明け団とO.T.O. — 創設者、会員、拠点、1888~1903年の活動期研究概要を見る - 2
The Warburg Institute
ヨーク・コレクション目録 NS 50–118 — 階級別講義と「タロットにおける生命の樹」アーカイブ目録を見る - 3
The Morgan Library & Museum
英国神秘思想復興期――ウェイトと出会う前のパメラ・コールマン・スミス解説を見る - 4
The Morgan Library & Museum
「タロット! ルネサンスの象徴、現代のヴィジョン」――1909年初版のライダー=ウェイト=スミス・タロット展覧会資料を見る - 5
The Warburg Institute
「タロット――起源とその後」――フリーダ・ハリスによるクロウリーのトート・タロット原画展覧会資料を見る - 6
Wikimedia Commons
薔薇十字系の儀礼装束をまとったウィリアム・ウィン・ウェストコット、1897年以前 — パブリックドメイン画像と権利表示を見る - 7
Wikimedia Commons
黄金の夜明け団の儀式を行うマグレガー・メイザース、1918年以前 — パブリックドメイン画像と権利表示を見る