ここまでのタロットは、ずっとゲームでした。
15世紀のイタリアで生まれ、フランスへ広がり、タロット・ド・マルセイユと呼ばれる図柄の伝統が育ち、17世紀には遊び方を書いたルールブックまで作られました。
皇帝も。死も。星も。世界も。まだ未来を占ってはいません。
ところが18世紀の終わりごろ、タロットを見る人々の目が突然変わり始めます。
「これは、本当にただのカードゲームなのだろうか」
「この奇妙な絵には、もっと古い秘密があるのでは?」
そして1781年。タロットの600年の歴史でも、とても大きな転換点となる本が出版されます。
中心にいた人物は、フランスの学者アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン(Antoine Court de Gébelin)でした。
01 · BEFORE TAROT DIVINATION
ただし、「占い」そのものは
すでにあった
その前に、一つだけ整理しておきましょう。
カード占いそのものが、1781年に突然発明されたわけではありません。
普通のトランプのようなカードを使って運勢を見る文化は、すでに存在していました。このあと重要人物として登場するジャン=バティスト・アリエットも、1770年にはカードを引く技法についての本を出版しています。
この段階で彼が扱っていたのは、まだタロットではなく普通のカードでした。[2]
つまり、カードで占う文化はすでにあった。でも、あの78枚のタロットそのものを、古代の秘密や占いと結びつける発想はまだ新しかった。
ここが今回のポイントです。
02 · 1781
クール・ド・ジェブランは、
タロットに何を見たのか

THE SCHOLAR
アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン François Huot after André Pujos, 1784神学、神話、言語などを広く論じたフランスの学者。『原始世界』第8巻でタロットを古代エジプトと結びつけました。
Rijksmuseum / Wikimedia Commons — CC0 画像と権利表示を見る1781年。クール・ド・ジェブランは、自身の大著『原始世界(Le Monde primitif)』第8巻の中で、タロットについて論じました。[1]
彼は知人宅でタロットが遊ばれているところを見て、その奇妙な図柄に強く惹かれたといいます。
そして考えました。このカードは、単なるゲームとして作られたものではない。もっと古いものなのではないか。
HIS ANSWERやがて彼がたどり着いた答えは――
古代エジプト。
03 · THE BOOK OF THOTH
「古代エジプトの秘密の本」
ではないか
クール・ド・ジェブランは、タロットの絵を古代エジプトから伝わった神聖な知識の断片だと考えました。
カードという形に姿を変えたことで、その秘密が何千年もの間、生き残ったのだ、と。
さらに同じ本には、別の執筆者であるメレ伯爵(de Mellet)の論考も収録されました。メレ伯爵はタロットを「トートの書」と結びつけます。
トートとは、古代エジプトで文字や知恵などに関わる神です。
つまり彼らの目には、普通のカードゲームだったはずのタロットが、古代エジプトの賢者たちが残した秘密の本に見え始めたのです。
ずいぶん壮大な話になってきました。
04 · WHAT THE EVIDENCE SAYS
でも、本当に
エジプトから来たの?
ここまでシリーズを読んできた人なら、「あれ?」と思うかもしれません。
第1回で見たタロットの始まりは、15世紀の北イタリアでした。ヴィスコンティ=スフォルツァのカードも見ました。皇帝や教皇など、当時のヨーロッパ文化を反映した絵もありました。
古代エジプトから伝わった証拠は出てきていません。
現在の歴史研究でも、タロットが古代エジプトで作られ、ヨーロッパへ伝わったという説を裏付ける証拠はありません。[3]
では、どうして彼はそんなことを考えたのでしょう。
05 · BEFORE DECIPHERMENT
なんと、まだヒエログリフを
読めない時代だった
ここで時代を並べてみると、とても面白いことが分かります。
クール・ド・ジェブランが「タロットは古代エジプトの知恵だ」と書いたのは1781年。ロゼッタ・ストーンが発見されるのは1799年。そしてシャンポリオンがヒエログリフ解読の突破口を公表したのは1822年です。[4]
つまり1781年当時、古代エジプトの文字を正しく読める人はいなかった。
古代エジプトは、ヨーロッパの人々にとって非常に魅力的でありながら、まだ分からないことだらけの世界でした。
だからこそ、謎めいたもの、古いもの、象徴的なものを「失われたエジプトの知恵」と結びつける想像が入り込む余地も大きかったのでしょう。
現代から見れば間違いだったと分かります。でも当時は、古代エジプトそのものが巨大な謎だったのです。
06 · A PRODUCTIVE ERROR
間違いだった。
でも、ものすごく重要だった
ここでクール・ド・ジェブランを、「間違えた人」だけで終わらせてしまうと、この歴史の面白いところを見失います。
彼の説は歴史的には支持されていません。けれど、タロットを見る人の視線を変えてしまった。
切り札です
意味があるのでは?
死。運命の輪。太陽。月。世界。これまでゲーム上の強さを持つカードだったものが、何かを象徴するカードとして、新しい目で読み直され始めます。
歴史的には誤りだった説が、その後のタロットの歴史を本当に変えてしまった。なんとも不思議な話です。
でも、ジェブランが「タロット占い」を完成させたわけではない
クール・ド・ジェブランが、現在のようなタロット占いを一人で発明したわけではありません。
同じ『原始世界』第8巻に収録されたメレ伯爵の文章では、タロットを使って占う方法についても触れられています。
つまり1781年ごろ、いくつかの流れが合流し始めます。
- もともと存在していたカード占い。
- クール・ド・ジェブランの古代エジプト説。
- メレ伯爵によるタロットの占術的解釈。
そして、そのすぐ後に、このアイデアを本当に「使える占い」へ育てていく人物が現れます。
07 · ENTER ETTEILLA
エッティラ登場
その人物が、エッティラ(Etteilla)です。
本名は、ジャン=バティスト・アリエット(Jean-Baptiste Alliette)。「Etteilla」は、Allietteを逆向きに並べた筆名です。ちょっとした言葉遊びですね。
彼は先ほど登場したように、クール・ド・ジェブランの本より前、1770年からカード占いについて本を書いていました。
つまり、もともとカード占いを実践し、体系化していた人なのです。
そこへ、タロットと古代エジプトを結びつける新しい思想が登場しました。エッティラは、その世界へ本格的に入っていきます。
08 · A WORKING SYSTEM
タロットを
「実際に占えるもの」にした
1783年から1785年にかけて、エッティラは『Manière de se récréer avec le jeu de cartes nommées tarots』というタロットについての著作を出版します。[5]
ここでタロットは、古代の秘密について考えるだけのものではなく、実際に意味を読み、占いに使うものへ変わっていきます。
さらにエッティラは、既存のタロットをそのまま使うだけではありませんでした。彼自身の思想に合わせて、占いを主な目的としたタロットを作っていきます。
09 · DESIGNED TO DIVINE
「占うため」に設計された、
最初期のタロット
これまで見てきたヴィスコンティ=スフォルツァやタロット・ド・マルセイユは、もともとゲームのためのカードでした。後から占いにも使われるようになったものです。
ところが、エッティラが作ったデッキは性格が違います。
最初から、占いや神秘思想に使うことを強く意識して設計されていました。
18世紀末に登場したエッティラのデッキは、現存資料から確認できる占いを主目的として作られた最初期のタロットの一つとして位置づけられています。大英博物館にも、占術用の78枚組と解説書が所蔵されています。[6]
タロット
タロット
およそ300年を経て、タロットには、まったく新しい目的が加わったのです。
これ、本当にタロット?
エッティラのカードを見ると、ここまで見てきたマルセイユ型との違いに驚くかもしれません。
彼は単純に、「マルセイユ版に占いの意味を書き足した」わけではありません。カードの名前、順番、図像、そこに与える意味。さまざまな部分を、自分の神秘思想に合わせて組み直していきました。
彼はタロットを「トートの書」、つまり古代エジプトの秘密の知識として扱いました。
この1780年代の作品は、カードを「メンフィスの火の神殿に置かれていたトートの書の葉」として並べています。[7]
もちろん、本当に古代エジプトの神殿にこのタロットが存在していたわけではありません。
でも彼らは、そういう物語をタロットの中に作り上げていった。そしてその物語は、この後のタロット史へ非常に大きな影響を残します。
10 · NOT A SINGLE BIRTHDAY
ゲームから占いへ――でも、
一晩で変わったわけではない
ここまで来ると、「では1781年が、タロット占いの誕生日?」と言いたくなります。でも、歴史はもう少し曖昧です。
普通のカードを使った占いは、それ以前からありました。1770年にはエッティラがカード占いについて本を書いています。
1781年には、クール・ド・ジェブランとメレ伯爵が、タロットに古代の秘密と占いの可能性を見ました。1783年以降、エッティラがタロット占いを体系化していきます。そして1780年代の終わりには、占いを主な目的として設計されたタロットまで登場します。
だから、ある日突然、ゲームが占いになったというより、18世紀後半の十数年の間に、いくつもの考えが重なって、ゲームだったタロットに「もう一つの使い方」が生まれたと考える方がよさそうです。
そしてゲームも消えなかった
タロットが占いに使われ始めたからといって、ゲームとしてのタロットが消えたわけではありません。現在でもフランスなどでは、Tarotはカードゲームとして遊ばれています。[8]
PLAY遊ぶタロットゲームとして続く
READ読むタロット占いとして育つ
つまりタロットは、ゲームだったものが占いに完全変身したのではなく、途中から道が二つに分かれたとも考えられます。
600年前に生まれた同じカードが、違う道を歩き始めたのです。
11 · WHEN IMAGINATION BECOMES HISTORY
「間違い」から始まった歴史
タロットは古代エジプトで生まれたわけではない。トート神が78枚のタロットを残したという証拠もない。クール・ド・ジェブランたちが想像した歴史は、現在の研究から見れば事実ではありません。
でも――その想像がなければ、今のタロットはまったく違うものになっていたかもしれません。
THE PARADOX歴史的な事実とは違った。
でも、その考えを人々が信じたこと自体は、歴史上の事実。
人が何かを信じれば、新しい本を書く。新しい意味を作る。新しいカードを作る。新しい使い方を始める。やがて、その「想像」そのものが現実の文化になっていきます。
タロットはここで、ただ受け継がれるだけのカードから、人々によって新しい意味を与え続けられるカードへ変わっていったのかもしれません。
SOURCES & IMAGE RIGHTS
参考資料・画像の権利
1781年の書誌はフランス国立図書館、エッティラの著作と図版はWellcome Collectionおよび大英博物館、ヒエログリフ解読の年代は大英博物館の公開資料で確認しました。掲載画像はCC0またはPublic Domain Markが明記されたものです。
- 1
Catalogue collectif de France / BnF
Antoine Court de Gébelin, Monde primitif, volume VIII, Paris, 1781書誌情報を見る - 2
data.bnf.fr
Jean-Baptiste Alliette (Etteilla) — 1770年以降の著作一覧著作記録を見る - 3
The Metropolitan Museum of Art
Before Fortune-Telling: The History and Structure of Tarot Cards歴史解説を見る - 4
The British Museum
How Egyptian hieroglyphs were decoded — 1799 / 1822 timeline解読の年表を見る - 5
Wellcome Collection
Etteilla, Maniere de se récréer avec le jeu de cartes nommées Tarots, 1783–1785資料を見る - 6
The British Museum
Complete tarot pack with 78 playing-cards for cartomancy (Etteilla)所蔵資料を見る - 7
Wellcome Collection
The Tarot as leaves of the Book of Thoth, J. B. Alliette, 1780s — Public Domain Mark作品と権利表示を見る - 8
Fédération Française de Tarot
Règlement officiel — 現代フランス・タロットの公式規則公式規則を見る - 9
Rijksmuseum / Wikimedia Commons
Portrait of Antoine Court de Gébelin, François Huot after André Pujos, 1784 — CC0画像と権利表示を見る