1637 · NEVERS, FRANCE

昔のタロットって、
どうやって
遊んでいたの?

占いになる前の78枚を、テーブルへ戻してみよう。

愚者は、占いになる前から特別だった。

03 11
WORLD · FOOL · BAGAT強い切り札、勝敗から外れるカード、そして最弱の切り札。

ここまでの旅で、タロットについて二つのことが分かりました。

15世紀のイタリアで生まれたタロットは、もともと占いではなくカードゲームだったこと。

そして、そのカードがフランスへ伝わり、やがて「タロット・ド・マルセイユ」と呼ばれる図柄の伝統へつながっていったこと。

でも、ここで一つ疑問が残ります。

THE QUESTION

ゲームだったのは分かったけれど、
いったいどうやって遊んでいたの?

78枚もあるカードを配って、皇帝や死や世界を、いったい何に使っていたのでしょう。

今回は、そのゲームの中を少し覗いてみましょう。しかも幸運なことに、昔のタロットの遊び方を記したルールが、本当に残っています。

01 · THE PRINTED RULES

1637年、タロットの
ルールが印刷された

舞台はフランス。1637年。日本では江戸時代の初めごろです。

この年、フランスのヌヴェールという街で、『Règles du jeu des Tarots』――「タロット遊戯の規則」という、わずか8ページの小さな印刷物が作られました。

現在、フランス国立図書館に残っています。著者はミシェル・ド・マロルという聖職者・著述家です。これは、現在知られている中で最古の印刷されたタロットのゲームルールとされています。[1][2]

NEVERS · 1637 RÈGLES
DU JEU DES TAROTS
8 pages · attributed to Michel de Marolles

ただし、一つ注意しておきましょう。タロットが生まれたのは15世紀のイタリアです。このルールは、それから約200年後の17世紀フランスのもの。

ですから、「15世紀の最初のタロットも、まったくこのルールで遊んでいた」とまでは言えません。タロットのゲームには、地域や時代によってさまざまな違いがありました。

それでも、占いになる前の人々が、実際にタロットで何をしていたのかを知る、とても貴重な手がかりです。

02 · WHY IT SURVIVED

このルールが残ったきっかけも、
ちょっと面白い

クロード・メランが1648年に制作したミシェル・ド・マロルの肖像

THE RULE WRITER

ミシェル・ド・マロル Claude Mellan, 1648

聖職者、翻訳者、著述家。1637年にヌヴェールを訪れ、そこで遊んだタロットの規則を書き残しました。

Wikimedia Commons — Public domain 画像と権利表示を見る

このルールを書いたミシェル・ド・マロルは、1637年にヌヴェールを訪れています。そこで、ルイーズ=マリー・ド・ゴンザーグ=ヌヴェールという貴族の女性らとタロットを遊んだことが、彼自身の回想録に記されています。

彼女はゲームにいくつかの工夫を加えていて、「せっかくだから、このルールを書き残して印刷しておきましょう」ということになったようです。後にルイーズ=マリーは、ポーランド王妃となる人物です。[3]

なんだか急に、400年前の人たちが身近に感じられます。「こっちのルールの方が面白いよ」「じゃあ忘れないように書いておこう」――そんな会話があったのかもしれません。

03 · ONE CARD EACH

基本は「みんなで
一枚ずつ出す」

では、どんなゲームだったのでしょう。

ものすごく簡単にすると、みんなで順番に一枚ずつカードを出して、その中で一番強いカードを出した人が、その勝負を取る。というゲームです。

現在でもトランプにある「トリックテイキング」と呼ばれる遊び方です。1637年のルールでは、基本的に3人で遊ぶことが勧められています。

二人でも遊べますが、マロル自身が、二人ではあまり面白くないという趣旨のことを書いています。400年前のルールブックなのに、そこまで感想を書くんですね。[2]

PLAYER 1カップ 4最初に出す
PLAYER 2カップ 7同じスートを出す
PLAYER 3切り札 Xこの勝負を取る

たとえば、こんな感じ

3人で遊んでいるとしましょう。最初の人が、カップのカードを出しました。

次の人もカップを持っていれば、基本的にはカップを出します。三人目も同じです。そして、その中で一番強いカードを出した人が、その3枚を獲得します。これを何度も繰り返していきます。

ところが、「カップを持っていない!」ということもあります。そこで登場するのが、切り札です。

第1回で登場した、皇帝。恋人。戦車。死。星。月。世界。ゲームの中では、これらはまず、特別に強いカードとして働きました。

TRUMP, NOT PROPHECY

「死が出たから人生の転換期です」ではなく、
「死を出したので、この勝負を取った!」

ここまで来ると、最初のタロットが現在とはまったく違うものだったことが、かなり実感できます。

04 · HIGHEST AND LOWEST

「世界」は強い。
「バガット」は弱い

21枚の切り札には、強さの順番があります。いちばん上には、XXI「世界」があります。

そして一番下の切り札は、I「バガット」と呼ばれていました。現在のタロットでいう「魔術師」につながるカードです。

ジャン・ノブレ版のI、テーブルの前に立つバガット
I · LOWEST TRUMPバガット手品師・大道芸人画像と権利表示 ↗
弱い21枚の順位強い
ジャン・ノブレ版のXXI、世界
XXI · HIGHEST TRUMP世界切り札の頂点画像と権利表示 ↗

つまりゲームとして見れば、世界はとても強く、魔術師につながるバガットは、切り札の中ではいちばん弱い。現在のカードの意味から見ると、少し意外ですよね。

でも弱いから価値がない、というわけではありません。この「一番弱い切り札」を最後の勝負まで残し、それで最後の一手を取ると、大きなボーナスがありました。弱いカードを最後まで守り抜いて勝つ。なかなか戦略的です。[2]

05 · THE ORDER

では、なぜ
この順番なの?

ここで、もう一つ気になってきます。どうして「世界」が上で、「バガット」が下なのでしょう。

実は、この切り札の順番がなぜこの形になったのか、その正確な理由は完全には分かっていません。初期のタロットには、現在のような番号が書かれていないものも多く、地域によって切り札の順番にも違いがありました。

つまり、最初から「IからXXIまで、この順番が絶対」と決まっていたわけではないのです。

それでも、カード全体を眺めると、一つの大きな流れが見えてきます。

EARTH身近な人物身分・皇帝・教皇・愛
FATE人の一生運命・老い・死
COSMOS天と宇宙星・月・太陽・審判・世界

細かな順番には違いがあっても、人間の身近な世界から始まり、しだいに人間を超えた、天や宇宙の領域へ上がっていくような構造が見えるのです。

そして、現在「魔術師」と呼ばれるカードも、当時から今のような神秘的な魔術師だったわけではありません。古いカードでは、Bagatto――手品師、大道芸人のような人物として描かれています。ヴィスコンティ=スフォルツァ版でも、テーブルの前に座った「Juggler(手品師)」として描かれています。

そう考えると、地上の身近な人物から始まり、最後には「世界」へ至る。そんな並びだったとしても、少し分かるような気がしてきます。

ただし、「このカードは、この思想を表すから何番」と、一枚ずつすべて説明できるほど単純ではありません。この不思議な21枚の順番には、まだまだ話があります。

いつか、「なぜ魔術師は最弱で、世界は最強だったのか」というテーマで、ゆっくり追いかけてみましょう。

そして、この順番の話でも、やっぱり一枚だけ妙なカードがいます。愚者です。

06 · A SHORTENED PACK

実は、78枚全部を
使わないこともあった

第1回で、56枚 + 21枚の切り札 + 愚者 = 78枚という構成を見ました。

1637年のルールも、最初に78枚のカードについて説明しています。ところが実際に遊ぶときには、12枚を抜いて66枚にする方法が勧められています。

FULL PACK78cards

REMOVE12low suit cards

PLAY WITH66cards

カップとコインから3枚ずつ。剣と棒からも3枚ずつ。これでゲームを遊びやすくしていました。[2]

つまり、「タロットは78枚だから、ゲームでも必ず78枚全部使う」というわけでもなかったのです。

遊ぶ人たちが、遊びやすいようにカードを調整していた。ここでもタロットは、神聖で変更してはいけないものというより、まず遊び道具だったことが見えてきます。

07 · TWO DIRECTIONS

しかも、スートによって
数字の強さが逆だった

ここでも、ちょっと変わったことがあります。

剣・棒10 → 9 → … → 4大きい数字ほど強い
カップ・コイン1 → 2 → … → 7小さい数字ほど強い

剣と棒では、10の方が強く、数字が小さくなるほど弱くなる。ところがカップとコインでは、1の方が強く、数字が大きくなるほど弱くなる。という並びでした。

つまり、剣では10が強い。でもカップでは1が強い。……覚える方は大変そうです。

現在の私たちがカードを見て、「数字の5だからこういう意味」と考える世界とは、またまったく違います。当時は、そのカードがゲームの中で強いのか、弱いのかが重要だったのです。

08 · THE OUTLIER

そして、問題の
「愚者」

さて。第1回から引っ張ってきたカードがあります。愚者です。

第1回では、21枚の切り札と、「少し特殊な扱いをされる愚者」と紹介しました。なぜ愚者だけ別なのでしょう。

ここで、ようやくその理由の一つが見えてきます。1637年のルールの中で、愚者は、Le Math(ル・マット)と呼ばれています。現在のマルセイユ・タロットに書かれている「LE MAT」につながる名前です。

そして、このカードだけは普通の切り札とはまったく違う働きをします。

荷物を担ぎ、動物に脚をつかまれながら歩くジャン・ノブレ版の愚者
LE FOV · LE MATH · LE MAT勝たない。でも、取られない。ジャン・ノブレ版、パリ、17世紀画像と権利表示 ↗

09 · NEITHER WIN NOR LOSS

愚者は、勝たない。
でも取られない

普通のカードを出せば、その勝負に勝つか、負けて相手に取られるか、どちらかです。ところが愚者は違います。

1637年のルールでは、愚者について、勝負を取らず、取られることもないという特別な扱いがされています。

愚者を出しても、そのカードで勝つことはありません。でも、負けたからといって相手のものにもならない。場に出して、その勝負が終われば、自分の側へ戻ってきます。[2]

01そのカード自身は、
勝負に勝たない。

けれど

02通常は、相手にも
取られない。

つまり、勝負には参加するのに、勝敗から少し外れている。

普通のカードが、「勝つか、負けるか」の世界にいるのに、愚者だけは、そのどちらでもない場所にいる。なんとも愚者らしいカードです。

10 · EXCUSE ME

「ごめんなさい」と言って
出すカード?

さらに面白いのが、この扱いです。1637年のルールでは、愚者を使って勝負から外れることを、excuseという言葉で表しています。

英語の「excuse me」と同じ系統の言葉です。「失礼します」「ご容赦を」といった感じでしょうか。

S’EXCUSER

愚者を出すことで、
「私はこの勝負から外れます」

そして、この伝統は完全に消えたわけではありません。現在フランスで遊ばれているタロットゲームでも、愚者にあたるカードは、L’Excuse(エクスキューズ)と呼ばれています。フランス・タロット連盟の公式規則でも、求められたスートや切り札を出さずにすむ特別なカードとして説明されています。[4]

400年近く経っても、愚者だけはやっぱり、「ちょっと失礼、私は普通の勝負から外れます」というカードなのです。

11 · WHAT IT DOES NOT PROVE

だから「愚者=自由」になった
……とは限らない

ここで、ちょっと慎重になりましょう。

現在のタロット占いでは、愚者から、自由。枠にとらわれない。新しい旅。常識から外れる。といったものを読むことがあります。

そして昔のゲームでも、愚者だけが普通の勝敗から外れていた。となると、「なるほど! だから今の意味になったのか!」と言いたくなります。

でも、そこまで単純に結びつける証拠はありません。現在のタロット解釈は、このあと何百年もの間に、さまざまな思想や人物の影響を受けて作られていきます。

ですから、昔のゲームルールから現在の占いの意味が直接生まれたとは言えません。

ただ――。占いになるずっと前から、愚者だけが、ほかのカードとは違う存在だった。これは確かです。そう知った上で現在の愚者を見ると、少し違って見えてくる気がしませんか。

「大アルカナ」というより、本当に「切り札」だった

ここまで見てくると、第1回で出てきた話がかなり具体的になります。現在私たちは、「大アルカナ22枚」とひとまとめにします。

でもゲームとして見ると、21枚の切り札 + 愚者と考えた方が、その成り立ちが分かりやすくなります。

世界からバガットまでの21枚には強さの順位がある。そして愚者だけは、その順位そのものから外れている。

21ranked trumpsXXI 世界 → I バガット

1the Fool順位の外側

この構造を見ると、第1回でなぜ、「21枚の切り札と愚者」と分けて書いたのかも見えてきます。78枚の構成そのものに、ゲームだった頃の痕跡が残っているのです。

12 · A TURN IN THE ROAD

400年前の人たちも、
勝った負けたで盛り上がっていた

1637年のルールを読んでいると、タロットへの印象が少し変わります。

王を何枚持っているか。切り札を何枚持っているか。どのカードを最後まで残すか。愚者をいつ使うか。どの勝負を取りにいくか。いろいろなところにボーナス点まで用意されています。

つまり当時の人たちは、神秘的なカードを静かに眺めていたのではなく、かなり本気でゲームをしていた。

良いカードを引いて喜んだり。思わぬ切り札を出されて悔しがったり。弱いバガットを最後まで守り切ろうとしたり。そんな光景があったのでしょう。

タロットの歴史を知れば知るほど、カードが博物館の向こう側から、少しずつ人間の手元へ戻ってくるようです。

でも、ここで大きな変化が近づいてくる

15世紀にイタリアで生まれ、ゲームとしてヨーロッパへ広がったタロット。17世紀になっても、人々はまだゲームをしていました。

絵には、死。運命。星。月。世界。という意味深なものが描かれています。でも、それを未来予知の暗号として見ているわけではありません。

ところが――。18世紀になると、一人のフランス人学者が、このカードにまったく違うものを見始めます。

その人物の名は、アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン。

1781年。彼はタロットについて、「これは単なるゲームではなく、古代エジプトの秘密の知恵が残されたものなのではないか」と考えました。

現在、その古代エジプト起源説を裏付ける歴史的証拠はありません。けれど、この説と同時期の議論がきっかけとなって、タロットの歴史は大きく方向を変えていきます。

NEXT: 1781

ゲームだったカードが、
神秘のカードへ。そして、やがて占いへ。

次回から、タロットのもう一つの歴史が始まります。

SOURCES & IMAGE RIGHTS

参考資料・画像の権利

1637年規則の書誌情報はフランス国立図書館、規則本文はティエリー・ドゥポーリスによる転記、遊び方は同氏とジョン・マクラウドによる英訳・解説を中心に確認しました。掲載画像はWikimedia Commonsの各ファイルページでパブリックドメイン表示を確認したものです。

  1. 1

    Catalogue général de la BnF

    Michel de Marolles, Règles du jeu des Tarots, Nevers, 1637所蔵記録を見る
  2. 2

    Tarock.info — Thierry Depaulis

    REGLES DV IEV DES TAROTS — 1637年原文の転記原文転記を見る
  3. 3

    Pagat — John McLeod / Thierry Depaulis

    Early 17th Century French Tarot — 1637年規則の英訳と解説英訳・解説を見る
  4. 4

    Fédération Française de Tarot

    Règlement officiel — 現代フランス・タロットの公式規則公式規則を見る
  5. 5

    Wikimedia Commons

    Claude Mellan, Portrait of Michel de Marolles, 1648 — Public domain画像と権利表示を見る
  6. 6

    Wikimedia Commons

    ジャン・ノブレ版「バガット」「世界」「愚者」— Public domain画像カテゴリを見る